So-net無料ブログ作成
検索選択

171 : Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov [楽興の時]

 

 

 

Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov

















 

Walentin_Alexandrowitsch_Serow_004.jpg


 

Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov














 

ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフ(ロシア語: Николай Андреевич Римский-Корсаков, ラテン文字転写: Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov, 1844318 - 1908621日)はロシアの作曲家。

ロシア五人組の一人で、色彩感あふれる管弦楽曲や民族色豊かなオペラを数多く残す。

調性に色を感じる共感覚者であったといわれる。























 

リムスキー=コルサコフ:歌劇 「皇帝サルタンの物語」より 「熊蜂の飛行」 

    

♪纏わり付く熊蜂を音で表現 

   

R.コルサコフは家庭事情などから海軍士官として勤めていましたが音楽への思いは絶やさず、やがて作曲家として成功し音楽院の院長にまで登りつめ、管弦楽の大家としてラヴェルやラフマニノフからも仰がれるまでになった人です。 

「熊蜂の飛行」は歌劇「皇帝サルタンの物語」の劇中、白鳥に姿を変えられた王妃に向かって熊蜂の大群が襲いかかる場面の音楽です。

 しつこく纏わり付く蜂たちの様を見事に描写しています。 

ちなみに物語はその窮地を救った王子が人間に戻った王妃と結ばれるというおとぎ話です。 

ピアノやフルート、ヴァイオリンなど様々にアレンジされ親しまれています。
















 

生涯

    

ノヴゴロド近隣のティフヴィンで、軍人貴族の家庭に生まれる。

幼児期より楽才を顕すが、12歳でサンクトペテルブルクの海軍兵学校に入学し、ロシア海軍に進んで艦隊による海外遠征も体験した。

1859年からピアノを始め、1861年にバラキレフと出会って、ようやく真剣に作曲に打ち込むようになる。

バラキレフは、リムスキー=コルサコフが航海演習のない時に作曲の指導をして、励ましてくれた。

バラキレフとの出会いによって、後の「五人組」の同人となる他の作曲家とも面識を得た。 《交響曲第1番》(1861年~1865年)は、まだ海軍在籍中に完成された。

1865年の初演後、好評を博して「ロシア人による前代未聞の交響曲」と呼ばれたが、1850年にアントン・ルビンシテインの前例があるので、その評価は適切でない。

1873年に軍籍離脱するまでに、管弦楽曲《サトコ》の初稿(1867年)と歌劇《プスコフの娘》(1872年)を完成させている。初期作品のうち以上3曲は、後年になって改訂された。 

1871年、それまで音楽や作曲については、独学や、「五人組」の仲間内での集団学習だけだったにもかかわらず、ペテルブルク音楽院から作曲と管弦楽法の教授に任命される。

その翌年に、ナジェージダ・プルゴリト(Nadezhda Purgol'd, 1848年~1919年)と結婚(ナジェージダ自身も作曲家でピアニストであった)。

音楽院での最初の数年間は、「五人組」時代の知識不足を埋め合わせるために、和声法や対位法について根気強く勉強し続けた。

 1883年から1894年まで、宗務局(宮廷礼拝堂)においてバラキレフの助手となる。この間に、ロシア正教の奉神礼(典礼)音楽について研究することができた。

指揮者としても活動し、豪商ミトロファン・ベリャーエフの後援する「ロシア交響楽演奏協会」を指導したほか、外国でも演奏活動を行なった。

ベリャーエフが企画した1889年のパリ万国博覧会におけるロシア音楽のコンサートにおいても指揮者を務め、自作曲の他、グリンカ、ボロディン、ムソルグスキーなどの楽曲をフランスに紹介した。

この時のコンサートには若き日のドビュッシーやラヴェルも聴衆として足を運んでいる。







リムスキー=コルサコフは貴族の出自ではあったが、ロシア帝国の近代化の立ち遅れに批判的で、学生の革命運動にも同情的であった。

1905年に、政府批判を行なったためにペテルブルク音楽院の教授職を解雇されるが、これが口火となり、彼を慕う多くの同僚(グラズノフやリャードフら)によって、相次いで辞職騒ぎが引き起こされた。結果的にリムスキー=コルサコフは復職することとなった。

しかし政府当局との軋轢はなおも続き、遺作となった歌劇《金鶏 Le Coq d'Or 》(1906年~1907年)は反体制的で、帝政の転覆を図るものと看做され、作曲者の死後の1909年まで初演が遅らせられた。 

リムスキー=コルサコフは最晩年に狭心症を患っていた。

1908年にルーガ近郊のリューベンスクにて他界し、サンクトペテルブルクはアレクサンドル・ネフスキー大修道院のティフヴィン墓地に埋葬された。ナジェージダ未亡人は、余生を亡夫の遺産の管理にささげた。 

リムスキー=コルサコフは7人の子をもうけた。そのうち、1884年生まれの第5子ナジェージダは、1908年にユダヤ系の作曲家マクシミリアン・シテインベルクと結婚しており、当時リムスキー=コルサコフに作曲の個人指導を受けていたストラヴィンスキーは、管弦楽曲《花火》作品4を、ふたりの結婚記念にささげている(シテインベルクはショスタコーヴィチの恩師としても有名である)。

3子アンドレイ(1878年~1940年)は音楽史家・音楽学者で、亡父に関して多くの著作を残した。

甥ゲオルギイ(1901年~1965年)も作曲家で、当初は微分音に興味があり、後にフィルム・シンセサイザーの開発に取り組んだ。























 

リムスキー=コルサコフ:交響組曲《シェヘラザード》Op.35 第3楽章:若い王子と王女

    

♪アラビアンナイト~千一夜物語を多彩な管弦楽で表現 

   

シャリアールは次々と嫁をめとっては、結婚の夜に殺してしまうという残酷な王でした。 

才色兼備の王妃シェヘラザードは、周囲の反対を押し切り、あえて王の妻となり、様々な面白い物語を千一夜に渡り語って、殺されるのを逃れ続けます。

そして最後には王の心を開くというのが、有名な「アラビアン・ナイト」の物語です。  

「シンドバッドの冒険」や「アリババと40人の盗賊」などもこれに含まれますが、リムスキー=コルサコフはこの長大な物語から4話を選び、それぞれを音楽で描いた、4楽章からなる管弦楽組曲を作曲しました。それが彼の代表作でもある交響組曲「シェヘラザード」です。

 この組曲では全体を通して、王妃シェヘラザードを示す儚くも美しい旋律が、コンサートマスターが弾くヴァイオリン独奏によって何度も奏でられます。

ライトモチーフともいえるこの主題は、とても印象的で聴く者を引きつけます。またすべてはシェヘラザードによって語られているという統一感を生んでいます。 

1888年の夏に完成したこの組曲は、同年12月に初演され大成功を収めました。そして1910年にはロシア・バレエ団がこの曲によるバレエをパリで初演し、こちらも好評で、シェヘラザードはバレエ作品としても有名になりました。 

シェヘラザードで最も親しまれているのは第3楽章「若い王子と王女」です。 

新月の王子と満月の王女の情愛を表した旋律は特に有名で、CMやフィギュアスケートの曲としても、頻繁に使用されています。

ロシア音楽を代表する名旋律のひとつと言っても過言ではないでしょう。 

*この作品はダイジェスト版を公開していましたが、今回は完全版として新たに録音しました。
















 

作風と後世への影響 

   

華やかだが客観的で簡潔な作風と言われる。ロシアの民謡・文学を題材にした作品が多い。

管弦楽法の大家として知られ、その理論書である「管弦楽法原理」といった実践理論に関する著作をいくつか残し、なかでも和声学の教科書は日本でも広く知られた。

海軍士官としての経験もあることから海の描写を得意としたことでも有名で、歌劇《サトコ》や交響組曲《シェヘラザード》には、航海の場面が含まれている。 

ムソルグスキーの交響詩《禿山の一夜》や歌劇《ホヴァーンシチナ》、歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》、ボロディンの歌劇《イーゴリ公》など、彼らの死後に残された未完成作品のみならず、生前に完成された作品の補筆・改訂をも行なった。

ただし、オリジナル作品の、現在では「斬新」「独創的」とされる部分を「未熟」と判断して常識的なスタイルに直してしまうような面もあり、これには批判もある。 

卓越した教師として名望があり、なかでも二人の高弟グラズノフとストラヴィンスキーのほか、リャードフ、アレンスキー、プロコフィエフなどを輩出した。日本人の弟子としては金須嘉之進がいる。

シベリウスはウィーン留学を考える前は、ペテルブルクでリムスキー=コルサコフに師事したいと望んでいた。伊福部昭の恩師チェレプニンの父ニコライもリムスキー=コルサコフ門下である。

またレスピーギも若いころロシアで彼に作曲を学んでいる。 師弟関係にはなかったものの、スクリャービンは生涯を通じてリムスキー=コルサコフを助言者としており、初期の《練習曲嬰ニ短調》作品8-122つの初稿が出来たとき、どちらを公表すべきかの判断をリムスキー=コルサコフにゆだねた。

ラフマニノフは交響詩《岩》をリムスキー=コルサコフに献呈している。 

リムスキー=コルサコフは、ロシアだけでなくフランスでも非常に好まれ、ドビュッシーが好意的な批評を残したほか、ラヴェルやフローラン・シュミットによって管弦楽法の模範とされた。

ラヴェルの初期の作品、序曲『シェヘラザード』(1898年)にはリムスキー=コルサコフやロシア音楽の影響が強く表れている。






















 

リムスキー=コルサコフ:トロンボーンと吹奏楽のための協奏曲 変ロ長調

    

♪コンパクトなブラスバンドの定番曲 

   

ウィンドオーケストラ・ファンのみなさまお待たせ致しました!

ブラスバンドの定番曲にして、トロンボーンが主役の楽曲でも特に有名なコンチェルトです。 

この曲はR.コルサコフがロシア海軍の軍楽隊監督官時代の作品です。自らの楽隊のレパートリーとして作曲されました。 

この時期のコルサコフは楽器の研究に熱心で、特にトロンボーンという楽器を気に入ったようです。そのためトロンボーンを主役にした協奏曲を書いたのです。 

3楽章からなりますが、楽譜に終止線がないのと、各楽章が短いのでまとめて1曲(楽章)と見ることも多いようです。

今回は全曲通してお届けします。 ちなみに海軍時代には他に、クラリネットと吹奏楽のための協奏曲も書いています。

















 

作品一覧 

   

詳細は以下のサイトを参照されたし。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B3%E3%83%95%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7 

   

交響曲

協奏曲

管弦楽曲

歌劇

室内楽曲

合唱曲

歌曲

正教聖歌(無伴奏)

他者作品の編曲
ムソルグスキー:交響詩「禿山の一夜」
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
ムソルグスキー:歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」





















 

リムスキー=コルサコフ:《スペイン奇想曲》 Op.34 1楽章 “朝の歌~アルボラーダ”

   

♪スペイン情緒あふれる華やかな管弦楽曲

    

リムスキー=コルサコフの代表作とされる「スペイン奇想曲」は、同じく有名な「シェエラザード」の前年にあたる1887年の作品です。

 当初はスペイン風の主題によるヴァイオリン幻想曲として着手しましたが、創作の進行に伴いイメージが膨らみ、やがては完全な管弦楽曲になっていきました。

しかし、ヴァイオリンをはじめとする各楽器のカデンツァ的なソロが、楽曲中の随所に顔を出すあたりに、ヴァイオリン曲として着想した時のなごりが感じられます。 

全体に5つの楽章から構成されていて、オーケストラでは通しで演奏されるため、CDでも各楽章の曲番なしということが多いようです。また、吹奏楽としても人気が高く、コンクールなどで頻繁に登場しています。 

「スペイン奇想曲」は第4,5楽章が、女子フィギュアスケートの中野友加里選手の、今季フリープログラムでの使用曲にもなっています。













シェエラザード 全曲を ・・・






































































































































 

13094202_495854540614033_117189118760786684_na.jpg










 


Ladies and gentlemen Many thanks for your visit !





 

20080414a.jpg
 
 
  



このブログは美しい曲・美しい絵画・美しい詩 等をインターネットの宝の山から見つけ出し、

ご紹介する事を基本としているブログです。

またここで使っている音楽・動画は、ご紹介している作曲家・アーティストの作品や解説への引用です。

 

 

 


nice!(71)  コメント(10) 
共通テーマ:音楽

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。